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罪の意識(うしろめたさ)からくるもの


l-31a あがり症の人の中には、自分を責める罪の意識(うしろめたさ)が心深くに横たわっている場合があります。

 人は自分の犯した間違いを心に深く刻み込むものなのです。自分の良心が間違いを許さず罪の意識として残します。その心の底に横たわっている罪を償わんとして、自分に苦しみを与えるのです。これが自己処罰です。

 その間違いは、自分では気づかないほどの些細なことである場合が多いのです。気がつかないからいつまでも苦しみが続きます。

 心の罪がどういう苦しみで現われるかは、”類は類をもって現われる”という法則で現われます。話すという行為で間違いを犯したら、話すという分野で苦しみが現われます。



 私の場合なのですが、高校二年生のときに国語の本を読んでいる時声が震えました。それまでは、人前で話すことにほとんど抵抗はなく、ましてや本読みは得意だったのです。震えたとき、国語の先生に「おまえは虚勢を張っているんだよ」と言われた言葉を今でもよく憶えています。それが図星だったものですから、それ以来落ち込み、どんどんあがり症になっていきました。ずーと、その先生に言われた言葉が私をあがり症へひっぱっていったと思っていました。

 長い間、病的なほどのあがり症で苦しみましたが、ある時、ふっとその国語の先生とのある出来事を思い出したんです。国語の時間に声が震える以前、その先生が私の自宅へいらしたことがあるのです。その当時、父はある地方の新聞社の支局長をしていたのですが、その先生が、警察沙汰になる事件を起こし、父に新聞に書かないように頼みに来られました。当時の私は小生意気で、先生と父の話をタバコを吸いながら聞いていたのです。
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 このことは私にとっては大した出来事ではなく、すっかり忘れていたのですが、私の良心が心の中から「お前、間違っているよ!」とささやいていたのですね。国語の先生に対する私の間違いが、国語の本読みで失敗をするという自己処罰をしたのです。その時、「私が間違っていた!」と気づけばそれ以降、あがり症で苦しむことはなかったでしょうが、私は気づくことなく、長い苦しみへと流されていきました。

 人間にとって大切なのは、気づきです。間違いは誰にでもあります。それは心の汚点となり、外の環境に苦しみとなって現われてきます。でも、人は気づきによって許され救われます。生きる世界は見事に出来ています。私は気づきによって救われたのです。
 

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公開日:
最終更新日:2014/06/05

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